新たな意識
いま思うと、小さなころからずっと
「不思議」
にワクワクしたり、ドキドキしたり、時には恐怖を感じたり…
始まりのある世界には、終りがあり、
終りがあるから、始まりはある
形をなし存在するものすべてがこの法則の中で存在している不思議
あたりまえのように存在するけれど、その法則に一度とらわれると
時々ゾッとする答えが見つかって、子どもながらに怯えていました。
「全ての物事に始まりがある」
では、始まりの前には何があるの?その始まりの始まりの前は?
この逆走をはじめると、行きつく先は
「 無 」
なのです。
子供のころにこの事を考えると、モヤモヤしてこわくて
いま当たり前に思っているこの世界の常識は
きっと通用しないんだ
なにもない世界、常識の通用しない世界が存在する
少なくとも、いまの「常識」に囚われていては…
いま思い出すと、すべてはここから始まっていたんだと思います。
成長していくにつれて、こういった思いはどんどんと薄れ、
いつしか「常識」に対して鈍感になり、
また、自分を守るための「常識」という付属品をたくさん抱えて
成長していきました。
社会で生きるためには、こうしなきゃいけない、こうあらなければならない
子供のころに敏感に感じていた感覚を失い、
本来の自分を見失い
いま思うと、学びの中に放たれ、泳ぎ、
いつか還るのだと、
遠回りしたけれど、
いつの日か自分が感じた疑問に答えを見つける為に
まだ答えにたどり着けはしないですけれど、
放たれた旅の中でいろんな経験をして
「 無 」に感じた恐怖というものは薄れた気がします。